ミニマリストを目指すヅカオタの修行の日々

ヅカオタがミニマリストになるべく奮闘する毎日をつづります

ドン・ジュアンの玄人感が宝塚の枠を超えていると思った件

ドン・ジュアン初日および他日の2度観劇。文句なしにだいもんの魅力が全開で、血湧き肉躍ります。清く正しく美しく「宝塚への没頭」が叶って楽しいし幸せの限りです。やはり普段の宝塚では見られないテンポの良さ、場面転換の華麗さ、独特のリズム感が、宝塚の殻を破ったとも言えるドン・ジュアンの放蕩とも不埒ともバカ正直とも言えるプレイボーイ、いや肉食男子としての描き方を余計に際立たせていると思いました。

宝塚の一線をギリギリ攻めている? 

海外ものを宝塚で上演すること自体は議論があることと思いますが、作品を輸入するぐらいなのでそれなりにおもしろいし、楽曲も振りも斬新だったりする。宝塚と思わなければ大変良くできたミュージカルだと思う。ストーリーの重厚さはないが、もともと享楽を突き詰めた戯曲と思えば・・・。

ではなぜ宝塚と思わなければ良いのか。この作品、宝塚として扱う内容としては、極めてギリギリの線を攻めていると思う。私が完全アウトでは?と思う部分は、女に対して暴力を振るうところ。しかも結構直接的に。例えば寄ってくる女の髪を掴んで振り払ったり、男に対しても酒瓶でなぐる振りが結構ありました。作風としてはなくはないが、宝塚で美しい人たちがやるにはやや暴力的要素が濃いような。本公演では絶対になさそう(あったらどうしよ)。

だいもんが男性だったら?そう思わずにはいられない

殻を突き破ったといえば、やはりだいもんの圧倒的存在感でしょう。初日の雑感で書いた通り、途中からだいもんがリアルメンズにみえてきた。宝塚風の作りこまれた男性像というより、だいもんが男だったらこうなのかも?というとても自然な男性像だった。

プレイボーイの扮装だから、本当にプレイボーイに見えてくるものなのか?それとも芯からプレイボーイだから、あの姿がプレイボーイの扮装と思うのか?

初演ということもあり、髪型、メイク、衣装などだいもん本位で決められる自由があると思うのですよね。有りものはおそらくないか極めて少ないはずだし、だから本人にマッチしたものを作ってもらえる。仮にそうでなくても、体型補正が完璧で体格良く、背が高く(あやかぜさんと並ぶと差は歴然だが)みえ、ビジュアルの作り込みは贔屓目でみても完璧と思った次第です。

そして、これが最大の要因かと思いますが、「リアル欧米メンズ」的な仕草を相当自然にしているように見える(見せている)のがポイントでしょう。目線や手つきがあるときはギラギラ系の男子、あるときは守ってあげたいはかなげな青年といった風に、男子そのものに見えるのです。とくに目線かなぁ。その一貫で上の暴力的な振りも続くのですけどね。(ここでは男子のリアルさを求め、一方では宝塚の夢々しさを追求するという、相反する気持ちですが)冷め切った部分からとち狂う一歩手前まで、チューニングを自由自在にできる人なんだと改めて思った。憎悪も喜びも優しさも全て全開で、振り切っているんですよ。それが不自然でなく、一人の個人として有りうるスタイルなのがだいもんのすごいところだと。

しかし、あまりに振り切れてすごいので、だいもんが難役をこなせばこなすほど、宝塚の枠から飛び出してしまっている気もします。「宝塚と思わなければ」の枕詞は、この点にもかけてしまう。本作は、強力な専科の2人の存在感、がおりさんの扮装力高い御庭番衆的騎士団長像、何だかとっても歌が上達した(何様)あやかぜさんなど様々な要素から、別箱とはいえ普段の宝塚ではなく、「だいもんカンパニー」による公演であると強く思います。良い意味での宝塚的もっさり感、生徒の生徒たる発展途上感が、まったくと言っていいほど感じられない勢いがありました。作風も強く影響しています。一貫して流れる倫理観が男性優位、侮辱に対する決闘、近親相姦(ですよね…母とドン・ジュアン少年のあの場面)などなど西洋色が濃く、日本人がつくる宝塚っぽくない感じ。

あやかぜさんに美形のスガナレルをやってほしかった

なぜ劇団がこの演目を選んだのか、それが重要でしょう。日本初演主演の栄誉はだいもんにあるわけですが、今後東宝でやったり再演したりするのかもしれません。大きな権利金が動いてるでしょうし、資金は回収するんでしょうしね。

しかし。スガナレルは父の侍従になっていました。スガナレルはドン・ジュアンの侍従であって欲しかった。モリエールの戯曲の翻訳版に流れる、格調高い文章の割には昭和的なあっさり感とか、狂言回し風の存在感とか、ドン・ジュアンをたしなめたり心配したり…侍従は主人を敬い心配するものです。美しい侍従って宝塚だから可能だと思うのです。友人だとあんなに心配する必然性が薄いのですよ。あやかぜさんを麗しい侍従にしてはだめだったのでしょうか。

だいもんが凄すぎて宝塚の域を超えてしまって、相対的に周りがそのレベルについていけず、結果的にトップの機会を逸してしまうのではないかという懸念を一人抱いています。全くの取り越し苦労であることを強く望みながら。