ミニマリストを目指すヅカオタの修行の日々

ヅカオタがミニマリストになるべく奮闘する毎日をつづります

昭和30年代のとある下町の風景

私の母はいわゆる江戸っ子で、とある下町の出身です。

東京を代表する観光地で有名なその土地は、10~20年前ですら今からは想像ができないぐらい混沌としていて猥雑で込み入っていて、武蔵野台地に住む私にはショックと言っていいほど大きい文化的背景による衝撃を毎回受ける街でした。今回はそんな下町の昭和住宅事情についてです。

 気性が荒い?祭り好き?一言では言えない人情の江戸っ子

私の祖父母ももれなく江戸っ子で、せっかちだしおせっかいだし、独特の江戸ことば?「ひ」を「し」と読む話し方など、特徴的な面が多々ありました。

ただし、それらは江戸っ子とは何ぞやという知識を成長するにつれ耳にする過程で思い至った程度で、当然小さいころから親しんでいる身には何の意識もしていないわけです。ちなみに江戸っ子というと細かい定義づけがあるようですが、よく聞く定義の「3代遡っても江戸生まれ」という点は、母の時点ではクリアしているようですが、その4代前はちと確認が取れません。

そういうわけで、私たちは子供のころからその地域の巨大な祭りで当然子供神輿をかつぎました。近くの美容室で祭りヘアーにセットしてもらって。ぱらりと髪が落ちてくるようではだめで、ピシッとまとめたお団子にはちまき。親族に祭り男がいたので我々の衣装は気合が入っていました。その中で気持ち的にいやいや感の拭えない私たち兄弟(笑)。だって私たちは父が江戸っ子じゃないから江戸っ子じゃないもんね!なんてひねくれてましたが、祭りという刹那的な瞬間に命をかけている様子とか、高揚感を共有できた一瞬とか、何より祖父母の満ち足りた様子や傍観(というか準備担当)を決め込む母自身の神輿を担ぐ声出しが立派(兄弟の練習の横でなぜか発声w)な様子に、冷め切った小学生に何らかの感動を呼び起こしたようで、私は大人になって某下町巨大祭りで「(人がいないので)外部の人も担げる大人神輿」を見つけた瞬間名乗りを上げて担ぐという、意外と祭り女な行動を展開したのは最近、という話はさておき。

近くのターミナル駅で起きた事件を知らせるテレビニュースの端に野次馬しにきた祖父が映り込んでいたり、大火事が起きたスーパーには当然偵察に行ったり、仕事に厳しく、仕事中に話しかけると怒られたり、祖父に関しては断片的に色々なエピソードが思い浮かびますが、近所に女手で切り盛りしている店があると、何かと気にかけ、フォローしていた話を聞くと、人情の人だなぁと思う訳です。

 

一軒に4家族

祖父母が他界した後は、祖父母の家はリフォームされ、親族が住んでいます。たまに聞く母親の思い出話から、昭和30年代のリアルな住環境を知りました。それは、一軒に4家族が住んでいたということです。

私の記憶にある間取りは、1階が工場(ものづくり系)と台所、個室一部屋。急な階段を上がった2階が個室3部屋。そして屋上。

想像がしづらいのですが、2階は3室ある6畳?一間を3家族に貸していたようなのです。

確かに、2階にも炊事ができるスペースがあったと聞いたことがある気がします。

当然、私はその時代を知りません。

母曰く、当時はそれは普通だった模様。

また、部屋を貸していたある一家の奥さんがとても綺麗好きで、掃除を教えてもらったとも言います。

時代は進んで住環境も変わり、こうした時期はそんなに長くなかったようですが、転倒しそうな高さの上がり框、黒光りする玄関から一直線の傾斜が強い階段、命がけの屋上での物干し(笑)など、物件めぐりをする上で遭遇する「昭和の家」の共通項はこの祖父母の家から受けたものが多いように思います。

 

東京の築古物件は決して古民家風の日本家屋ではない

関東でも千葉や埼玉には立派な築100年クラスの古民家がまだ建っていて、その美しい佇まいにはほれぼれします。翻って都内にもあるのでは?なんて調べると、築古物件は意外と10~15坪の戸建て。それは、長屋です!なかなかシャビーでスパイシーな雰囲気漂います。もちろん、お屋敷街は別ですよ。エリアによっては築戦前でも億単位で取引されているようで(土地が広いので)。庶民には縁がありません。

また、狭小物件は長屋はじめ再建築不可のことが多く容易に手を出しづらい。こんなところも空き家が多くなる要因になっているのかもしれません。