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ミニマリストを目指すヅカオタの修行の日々

ヅカオタがミニマリストになるべく奮闘する毎日をつづります

ドン・ジュアン、世界は愛に満ちている

宝塚

ドン・ジュアン、見れば見るほどだいもんがかっこいいです。だいもんが超絶魅力的にみえる構成、輸入ものだとわかっているけどまるであて書きされたようですよ・・・だいもんに合うからこの作品輸入したよ✩なんて事だったらいいな。それにしてもKAAT通いが続いています。ほぼ中華街ですけど、ほぼ山下公園ですけど、遠いわ・・・。

いつトップになるの?今でしょ

この演目みていると、真ん中に立っている人が、まさに今、美、心、体、技と最も充溢している時期だと痛感します。娘役は割と若年でもトップになりますが、男役はやや高年齢で就任することもあり、美貌の最盛期にトップを迎えてほしいと常々思います。まさにだいもんは、全てが調和してエネルギーに満ち満ちている。トップになるには今でしょ!

さて、そんな美しいだいもんですが、美女に侍られっぷりが堂に行っていて、女に囲まれる星の元に生まれてきたとしか言いようがない状況が目前で繰り広げられています。ドン・ジュアン、やってること結構ゲスイんですけどね・・・登場して開口一番、「女は口では呪うが体は俺を強く求めている(大意)」なんてゲスの極みみたいなセリフですが、だいもんドン・ジュアンだから仕方ないのよねって思っちゃう。その証拠に、きっとひどい目にあっている女たちがだいもんに群がって・・・多分匂い立つようないい男なのでしょう。そうでしょう。ご本人、超小顔で超細くて薄くて可憐なのに、どうして舞台では大きく見えるんだろう。近年のなかで、最も体型補正が完璧に思います。

だいもんの一種の顔芸とも言える多彩で豪快な表情のつくり方の素晴らしさについては「リアル色男にしか見えない」とこのブログで叫んできましたが、欧米系男子の表情の出し方が、ご本人の気質的にひょっとしたら合っているのかもしれないと思うようになってきました。特に目と眉の動かし方が、欧米の人と話しているとよく見る感じなんです。はっきりして。目に宿る一瞬の冷たさとか、引き込まれるような強い眼差しとか。

全体のテンポと楽曲もだいもんに合っている気がする。ギターギュイーン!とか(ショーではたまにあるか)、シリアスになるべきところでフラメンコとか、とにかく熱い、暑い、濃い!オリジナルの本公演だったら有り得ない展開で、私は好きです。でも宝塚特有のもったり感は文化のひとつですから、守っていかないと・・・。

そして、最近ドン・ジュアンが爪を噛むくせが目立ってきたような気がします。だいもん、結構こういう癖っぽいこと好きですね。

いやーしかし、クオリティー高い、この作品。1幕では超絶ブラックだいもん、2幕ではいきなりるんるんホワイトだいもん。個人的にはブラックだいもんが好きだけどね。何度でもみてたいわ。(小声)しつこいけどオリジナル作品でないから面白いよね・・・

輸入してるぐらいだから、海外の演出法をオリジナル作品に取り入れることの可能性について

やはり、主演がスーパー魅力的に見える演出を座付き作家がすべきです。輸入ものはその点非常に上手だと思うのです。そもそも欧米では自らをどう見せるか、自己プロデュースに長けているし、エンタメの作り手の観点からいってもスケールが大きく競争が激しく、すさまじい実力で頂点に立ったひと握りの人しか栄光は得られない。それはエンタメの世界だけではありませんが、その点宝塚はちょっと毛色が違う気がする。もちろん、劇団の中にいる人は選ばれし人たちですが、これまで「あちゃー」と思わずにはいられない演目を、まあまあ見てきたってことは、そんなに出口で評価されてはいないよう。「ガラガラだったから責任取る」ってことは・・・ないですよね?

日本人が西洋人を演じる、ということはやはり日本人が演出をすべきだと思うのです。なんてったって女が男を演じるということは日本の、宝塚の誇るべき文化ですから、日本人が守り続けていくべきでしょう。でも、これだけ文化も考え方もグローバルになってきたこの時代なので、出演者の見せ方もグローバルにしてもいいのかもしれない。そこで、輸入ものばかりやらずに、日本人がつくる作品を日本人が演出し、海外の演出家をアドバイザーのような形で招聘し、構成に協力してもらうのはどうでしょう。年単位で契約すれば作品ごとに金かからないでっせ(多分)!もしくは、海外で演劇を勉強した日本人留学生に「ショースタイルの小作品」なんて感じでコンペさせる。よければ採用!この案どうだ!

世界は愛に満ちている(亡霊) 

1幕最後、彫像が置かれた広場に現れただいもん。場の雰囲気が「罪人は来るな」と言っていますが、決闘で相手を殺してしまうのって、罪になるのか?騎士道や武士道の観点だと決して罪にはなるまいに(現代は当然罪である)。「決闘では死ぬか殺すか」「侮辱されたら決闘だ」というセリフからは騎士道精神が垣間見えるのですが。罪としておかないと、だいもんが追い出されようとする理由にならんのか。でもな~ドン・ジュアンはどんなにゲスくても、ちゃんと紳士なはずなんですよ。モリエールの戯曲ではそういう風に書かれているはずなんですよ。じゃないと・・・ただの放蕩息子・・・。

ラファエルとの決闘中、亡霊の騎士団長が話すセリフがしびれますねぇ。「世界は愛に満ちている」「お前だけがそこにいない」「まだわからないのか」などなど。じゃあドン・ジュアンはどうすればよかったのか。死なずに済むにはどうしたら?

 

ああ~今日はひとこへの愛を語るつもりだったのに、字数を費やしてしまったので次回に。