ミニマリストを目指すヅカオタの修行の日々

ヅカオタがミニマリストになるべく奮闘する毎日をつづります

漫画原作を劇作化することの難しさ

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るろうに剣心は宝塚が初めてのミュージカル化だそうで、初日の組長のあいさつでも何万部の売上だとか、人気作だとか、事実なのでしょうがやたら原作を爆上げしていたのが気になりました。

 原作というか、バックは版元や広告代理店なのでしょうが…このタイミングの劇作化、ライセンス料の収入が必要だったのでしょうか?何かバーターでも計画中?オリジナルキャラを投入しないとトップを頂点とする番手主義を保てないならこの作品を選ぶ必要ないと思うし、組全体的に歌が難しいから扮装力の高さを売りにするしかないのなら、こんなに切ないことはないと思うわけです。阪急的には集客が一番のメリットなのかもしれませんが。

私はるろうに剣心自体、自らのジャンプブームが去った後だったので真剣に読んでいません。原作には何の愛着がないわけですが、アニメはたまに見ていたので「そばかす」は印象的です。だいもんがこの楽曲を作中で歌ってくれたら小池センセイでかした!と思ったのですが(歌うわけない)やはりありませんでしたねぇ。

それで問題はだいもんのオリジナルキャラです。この人の過去を描くために1幕のもったりしたやりとりが、トゥーマッチというか、何ていうか過剰なんですわ。こんな短い時間に幕末~明治期の偉人が登場しまくりだし。展開早すぎって何度も心中で突っ込みました。まぁでもやっぱりアヘン作製の親玉としてうまくストーリーにぶっこんできた感はあります。冒頭のだいもんによる全速力殺陣は見ものでした。すぐに洋装になってしまうので、和装は一瞬で終わってしまう。だいもんの和モノ、もう少し見たかった気持ちです。

銀橋をアヘンアヘンと叫んで妖艶に歌う姿は美しく毒があり、好きではありますが、加納のメッセージをアヘンにしてしまったのが、どうにも残念ではあるのです。この人に立ち位置の危うさは、一人だけメインキャラの中で原作には登場しないことで、振れ幅が広すぎること。遊女の身請けに失敗したくだりが剣心らとのなれそめなのはやや浅はかだし、なぜ薫に思いを寄せて?いるのかはっきりしない。この遊女に似ていたのか?何とも謎です。最後窓から落ちていくのは潔くて意外性があって嫌いではありません(笑)。加納のことなので死んだふりしてまたどこかで生き延びて欲しい。

しかし、この作品、大作ということもあって登場人物がかなり多く、それを2時間半で詰め込むものだから、とくに1幕は展開が早く人が出てきすぎて追いついていくのに必死。この人誰だっけ?と思うこともしばしば。ある程度の原作の知識がないと入り込めない感じではありました。

初見時にはるろ剣キャラが登場する小池センセイワールド、という印象を強烈に受けたのですが、だんだんと原作に近い作風だったのかな、とも思ってきました。次にみるときにどう受け取るか楽しみでもあります。