ミニマリストを目指すヅカオタの修行の日々

ヅカオタがミニマリストになるべく奮闘する毎日をつづります

舞音 雑感(のはずが月組への思いで字数を費やしてしまった)その1

月組の舞音 東京公演を観劇してきました。雑感を綴ります。手放しで褒めてます。

歌わない神、ぶれない植田スタイル、どこを切ってもまさおさん、たまきちのトップ像など。そして心臓をわしずかみにされたショーの客席降り・マギー様降臨など、様々な示唆に富んだ公演でした。

月組観劇歴はまだまだなんですが

だいもんが雪に組み替えするまで、花組一筋だった私は、他組は一切みることがありませんでした。

理由は、まったく萌えなかったからです。2014年のタカスペも、4組+専科が集う超豪華な公演だというのに、やはり(元・現)花組のひとたち以外には昂ぶらないというか。

それが、花組から雪組へと自身の担当が変わらざるを得なかったことで本公演の遠征をやめ、東京公演をくまなく観劇するという作戦へ転換しました。

ルパン以降の雪組自体が以前の花組ほど自分にしっくりこなかったからです。

宝塚でさえグローバル化(予想外な組み替えの意)しているのなら、こちらも対策を練らねばなりません。

色々な組のカラーを知っておいても損はないという軽いノリでした。

そこで、苦手な月組の1789をに見いくと。注)それまでまさおさんのあまりのまさお節が受け付けられなかった

みやるり様とマギー様に首ったけ!

おせぇ!おせぇよ!

そんな大きな突っ込みを自分でいれ、すっかり両氏が気に入った私は、何とまさおさん(龍 真咲)のコンサート、ドラゲナイトへ行くようになる程、月組への苦手意識が取り去られたのです。宝塚あるある(違う?)。

そもそも、トップと準トップという不思議な人事制度が特別に認められていたという、解せぬ空気感のあった組。おまけに主要な役にも関わらずトップと準トップが役替わりという公演もありましたよね。過酷な状況に追い詰め、劇団はどうしたいの?と誰もが思ったはず。みりお様(明日海りお)に多大な重責がかかっているであろうことも心配でした。お前の心配なんていらないって感じですが。

それに輪をかけてまさおさまの独特なまさお節。小顔で線が細い。蘭寿さんのような男臭さにノックアウトされていた身としては、正反対のトップに萌えるわけがない。

それが1789で吹っ飛んだわけです。

 

トップを支える組子あっての、月組クオリティ

歌うまが好きな私には、1789は絶好の公演でした。これまで歌に悩まされてきたので、不協和音なひとがいない、何とも歌のレベルが高い組だろうと(本心は全組が当然のごとく守って欲しい基本レベル)!

まずみやるりさま(美弥 るりか)の神ですよね。美しい人の黒い役がことのほか私の大好物なので、当然目線を奪われました。

そして圧巻のマギー様(星条 海斗)。今も鞭打つお姿が目に焼き付いています。体格がいいから舞台で映えるし、スーツなどの洋装がやっぱりはまる。さらに声、しぐさが「男」役そのもの。ちょっとブロードウェイに出てきそうな本物の男性に見間違うような。

この2人の大事なところは、役で歌えることだと思います。だから好きになりました。

フレンチロックというめずらしい楽曲が、新しい目線に立ちスターそれぞれの色々な面を見ることができるという、舞台に色を添えた要素だったのかもしれません。華やかで、それでいて扇動的な。さすが小池先生です。フレンチロックという未知なジャンルも宝塚っぽくしてしまうんですもんね。

小気味よい展開、飽きない工夫が小池先生は大変上手です。

飽きちゃってしょうがない本公演、いくらでもありますからね!

それから、ちゃぴ(愛希 れいか)が本当に魅力的。マリー・アントワネットの扮装、ため息がでる程かわいかったし、表情がくるくる変わって生き生きとしてました。

本来なら当然であるはずのトップ娘の姿だと思いますが、今の布陣の中では、私としては稀有な存在に見えました。歌も上手だし(ソプラノが綺麗な方ですよね?1789の低い旋律は難しいように感じたが)、何よりダンスが抜群ですわな~。

良く踊るわ~(GOLDENJAZZ)、踊りまくってても笑顔絶やさない。すごい。

そして肝心のまさおさまですが、この公演、どうもまさおさまの役というか存在感の傍流感が強くて、全然気にならなかった!それよりもちゃぴとかみやるりとかマギー様を見て楽しかった!

まさおさまの真骨頂を見たのはドラゲナイトです。正統派とは言えない(と思う)くどい話し方、歌い方、にも関わらず数々のナンバーで思いっきりハマっていることがわかりました。いや、ダイスケ先生がそのまさおカラーを活かせるナンバーを選んでる?のかもしれませんが、どれも「まさおさまのうた」になっているのです。

何だろう、これ。集団の中にいると悪目立ちするのに、コンサートという歌い継ぐシーンではいい方向に振れている。

金太郎飴のごとく「どこを切ってもまさおさん」スタイルは、もはや歌舞伎のような伝統芸能の1つなのかもしれません。これだけ独自スタイルを貫くのってすごい。

ただし、組織の悲しい性として、独特なトップって周りのひとたちがノーマルでないと成り立たないはず。

月組から受ける「安心感」、それはトップを支える月組子が優等生(標準的ともいう)なひとたちの集まりだという事象から生まれるものなのではなかろうか。雪のような破綻的な歌は聞こえてこなかったし、ショーで誰よりも目線を奪うイケイケオラオラ系もどうやらいなさそうだし、上にも下にも触れないという、良くも悪くも一番バランスが良い組なのだと思います。

 

肝心の公演の話は?

月組への思いを連ねていたら思いのほか字数を費やしてしまいました。詳細は別稿に委ねることとします。ポイントは、

植田スタイル、ぶれませんね…

なぜ神に歌わせない

安直な役名「もうひとりの○○」

たまきちさん(珠城 りょう)、蘭寿さんのような男臭プンプンのトップになりそうハート

まさお&カチャはハーモニーになっていない

豪華な衣装、独特な振り

ちょっと出来損ない感のあるミスサイゴン

目の前で踊り歌う愛しのマギー様の破壊力(ショー)

宝塚をエンターテインメントのひとつとして楽しんでいる友が放った冷静な宝塚観